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2006年 05月 05日
5月某日、ふらりと小さな旅に出た。
昼過ぎに南海電車に乗って、新今宮でJR線に乗り換え。 大阪環状線から奈良方面に向かう大和路快速で、まずは加茂に向かった。 列車は生駒の山並みに向けて、上り勾配をひたすら上っていった。 しかし車両自体は、もともとは新快速用に作られた比較的新しいもので、連続する勾配など、ものともせずに駆け上った。 沿線の風景は都会から郊外へ、そして大和川に沿う山の中へと、目まぐるしく変わっていった。 山には新緑がまぶしく、藤の花が紫に咲くのもいい眺めだった。 山を越えると、奈良盆地へ。 沿線には再び新しい住宅が増え、列車の窓からは、法隆寺の五重塔が新しい家並みの向こうに見えた。 奈良、木津と、古から続く歴史を秘めた地を列車は駆け抜け、大和路快速の終点、加茂へ。 これまで乗ってきた路線は、関西本線と呼ばれる、名古屋方面から奈良を経由して大阪方面を結ぶ、かつての幹線にあたる。 加茂はその途中にあるのだが、大阪から加茂までは快速電車が乗り入れ、京阪神を中心としたいわゆるアーバンネットワークの範囲内にある。 しかし、加茂から先、名古屋方面へは、ワンマン運転のディーゼルカーが単線の線路を行き来する、ローカル線になってしまっている。 今年の春までは、一往復だけ名古屋と奈良の間を急行列車が走っていたが、それもすでにない。 加茂から乗り換えた、亀山行き2両編成のディーゼルカーは、エンジンをうならせ、京都へと流れる木津川に沿って山越えの線路を走っていった。 今はローカル線だが、かつては幹線だった事を示すように、駅はホームが長く、駅舎も立派なものが多い。 ただし、ほとんどが無人駅。 沿線の川には、川遊びをする人たちが大勢見えた。 河原でバーベキューをしたり、カヌーやゴムボートに乗ったり。 やがて忍者の里として有名な伊賀上野を過ぎ、柘植へ。 ここから草津線に乗り換え、貴生川へ。 草津線は電化された路線で、京都から直接乗り入れる列車も多い。 貴生川に着いた時には、すでに日は傾いていた。 ところで実は、貴生川からは信楽高原鉄道に乗って信楽へ行くか、近江鉄道に乗って米原まで行くか、まだ決めていなかった。 いかにも地方ローカル私鉄といった感じの近江鉄道の電車を見ると、こちらに乗りたいという気もした。 しかし、もっとローカル線度が高そうな信楽高原鉄道を選んだ。 信楽といえば、陶器の狸の置物で有名だ。貴生川の駅でも、狸がご案内。 そういえば、貴生川駅前に乗り入れるタクシーも、ずばり「たぬきタクシー」。 ちなみにこの「たぬきタクシー」は、信楽高原鉄道の終点、信楽駅前にも乗り入れていた。 列車の側面にも、狸のイラストが。 いよいよ、信楽高原鉄道のディーゼルカーに乗って、信楽へ。 この日は初夏を思わせる暑い日で、夕刻近くても、列車の中はまだまだ暑かった。 けれども、列車が走り出すと、開け放した窓から気持ちのいい風が吹き込んできた。 列車は山に突っ込んでから長い長い坂を、エンジンを思いきりふかしながら上った。 山の中には、山桜をはじめとして、いろんな花が咲いていた。それらが、夕刻の鈍い光線を受けて、不思議な鮮やかさを見せていた。 高度が上がるにつれ、空気もひんやりとしてきたので、窓の開け幅を小さくした。 信楽高原鉄道といえば、十数年前の大事故がまだ記憶に残っている。 ちょうど今くらいの時期・・・赤信号を無視して信楽駅を見切り発車した列車と、途中の行き違いのための信号所を、信号の誤表示で通過した対向列車が、正面衝突した。 ちょうど信楽で陶芸祭が行なわれており、大勢の観光客が亡くなった。 事故以来使われなくなった信号所を通過し、列車は短い警笛とともに、事故現場を通過した。 窓からは、慰霊碑が見えた。 やがて、信楽の里へと列車は入った。 紫香楽宮跡、雲井、勅旨、玉桂寺前と、小さな駅に停まった。 駅にも、ソメイヨシノか、八重桜だろうか、満開の木があった。 そして、終点、信楽。 ゴールデンウィーク中、駅前では陶器市が行なわれている。 ホームには、折り返し貴生川行きとなる列車を待つ人が大勢いた。 信楽駅前にも、信楽焼の置物がずらりと。 狸だけじゃなくて、犬やフクロウなどの置物もたくさんあった。 個人的には、この「ぼうしネコ」が気に入ったが、重そうだし、買うのをあきらめた。 この日は、時間が遅くて、すでに陶器市は終わったあと。 会場では、後片付けや、翌日の準備などが行なわれていた。 駅前の食堂にも、狸のおまわりさん。 こども110番の家の旗を持ってます。 駅の周りをぶらぶらしたが、なかなかいい田園風景に見とれてしまった。 時間的にも、日没直前という、里や田畑がその日最後の輝きを見せる時。 貴生川行きの列車が、のんびりと走っていく。 さて、なぜ列車で貴生川まで折り返さなかったかというと、それはただ単に、列車が観光客や部活帰りの中学生たちで混雑していたからだ。 それでどうしたかというと、少し遅れて信楽駅前を出る、大津市の石山行きのバスに乗った。 バスは、山越えの、谷川に沿った、離合困難箇所が連続するような、ものすごく狭い道を走った。 ところが、途中の山の中のバス停で、まとまった乗車があったのは意外だった。 いかにも山から下りてきたばかりといったふうのハイカーが3人と、そして、なぜかスーツに身を固めた男女の集団が・・・。 周りには、何もなさそうな寂しいところだ。 強いて言えば、高速道路の工事現場があったのだが、連休で作業をしている様子もない。 まさか、狸が化けてきたわけでもないだろうが、狐につままれたような、不思議な気分だった。 そのスーツ集団は、座席に着くなり、「今回の出張旅費はどう精算するんだ」みたいな話をしていた。 それから外の風景はますます暗くなっていった。 途中に古い水力発電所があったが、夕闇に沈み込もうとしていた。 対向車のヘッドランプや、前を走る車のテールランプが、やけにまぶしかった。 そのうちに平野に出て、大津市の石山の町に入った。 山から里に下りると、やはりほっとする。 石山駅前に着いたバス。 ・・・この写真を撮っているとき、車内ではスーツ集団のひとりが千円札を両替しようとしていたが、何度やっても、両替機からはねられていたのだ。 まさか、木の葉っぱのお札でもないだろうが。 (ちなみにこういう時は、お札を縦に折ってから通すと、両替機が受け付けてくれる事も多いらしい) 石山からは、新快速で京都を経由して、大阪に帰った。 いい気分転換になった。
by skuroki
| 2006-05-05 23:39
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